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コラム 高木正勝 その2

 
 

地と血を紡ぐ

 

コンサートについて

 
 
 

2008年初夏、「Tai Rei Tei Rio」の構想を本格的に練り始めました。飛び込んできたのは「日本」。「日本」に足をつけた「日本人の音楽」がやりたかった。意気込んでみたものの、何を以て「日本の音楽」と言えるのか、正直なところ、よく分かりませんでした。雅楽や能などの古典に耳を傾ければいいのか、そう自問した時、僕には何か少し隔たったものを感じました。

「日本の音」を思い浮かべる時、僕の頭には「わらべうた」や「祭り」がまず思い起こされます。それらは各々の土地で豊富なバリエーションを誇っていて、どれもがその土地と深く結びついた何かを感じさせるものです。土地が育んだ音であり、先祖代々流れる血が運び出した音です。こういう音は、近年量産されている数多の音楽とは少し違った響きを内に秘めているように思います。沖縄の軒先で唄われる三線の響き、バリの寺院で奏でられるガムラン、アトラス山脈で農作業に没頭する娘たちの唄、サハラ砂漠で満点の星空にこだました太鼓の音色。世界を旅する中、骨の随までしびれた、それらの音体験を思い返すと、不思議な共通点があります。それらの音を現地で聞くと、耳の内の内側まで入ってくる様な奇妙な感覚を覚え、目の前で演奏しているのに何処か遠くの方から届いてくるような、不思議な聴こえを味わいます。そんな空間の広がりと共に、根の如く広がる奥深さを同時に味わいます。唄い手に流れる長い歴史を伴った血や想い。それらがまるで大気や大地と共鳴しているような響き。そこには唄い手や演奏家の顔は、もはや存在していません。ただ音が大気に溢れて包み込む。

自分がやるべきは、こういう音楽なのだと思いました。自分に流れる血や生まれた土地に全身全霊を預けられたなら、その時、紡ぎ出される音が、僕が追い求める「日本の音楽」なのだと。それであれば、使う楽器は何だっていいのかもしれない。色んな人の協力を経て、集まった10名の演奏家。曲はまだ出来ていなかったので、どんな楽器が最適なのか分かりませんでした。実際にお会いして、それぞれに何がやりたいのか説明しました。どれだけ言葉を重ねても伝えられる自信はありませんでした。恐れずに、次のように伝えました。「自分の後ろにいる守護霊とか、そんなものをステージに連れてきて下さい。そういうものが演奏する事で立ち上がったら多分成功です。」我ながら、ぎりぎりな伝え方です。舞台、照明、音響、収録などのスタッフにも同じように伝えました。「何をやってもいいです。ただ、そういうものを連れてきて下さい」と。細かく指示はしませんでした。少なくとも日本人ならきちんと通じると思ったからです。

皆が集まれるのは本番直前の数日間だけ。それまでに曲を作って共有しておかなければなりません。自宅に籠って曲作りを始めましたが、想いばかりが先行して思うように曲が生まれません。そこで、部屋の窓を開け放って、ピアノの前に簡単な録音機を置きました。演奏中はずっと録りっ放しです。まず、少し音を出して、その音をきちんと追います。壁、天井、床が共鳴しているのが分かります。そうなると部屋を演奏している気持ちになります。庭に生っている木の実を食べにきたのでしょう、鳥が沢山集まってくるので、そちらにも感覚を伸ばします。通りから聴こえるおばさんたちの声にも伸ばして、、音の届く限り感覚を伸ばし続ける。土地そのものを演奏している感覚。次に身体へ。指から腕へ、血に、血の奥の奥の方に感覚を伸ばす。そうすると、思いがけなく、曲が生まれてきました。中近東のような響きや、北アジアのような調べ、南の島々の感覚が音になって紡ぎ出されました。もはや、日本の姿は島国ではなく、先祖が歩んできた故郷に繋がる「大きな日本」に姿を変えて身の内に形作られました。

リハーサルは本番直前の4日間。東京の貸しスタジオに集まって猛特訓しました。流石にはじめは全員が混乱していました。殆どの人がお互い初対面です。一応、曲のデモは前もって渡してありました。「最低限、こういう風に演奏すれば曲としては成り立ちます」といった簡単なデモと楽譜を配りました。それを元にまず曲の流れを皆で掴みます。曲は至ってシンプルです。基本的に一曲に対して一つの音階が定められているだけです。例えば、Ana Tengaという曲だと「Gメジャーの音階であれば何を演奏しても構いません」と伝えます。「即興で構わない」という事です。言われた側は困りますが、練習を繰り返す中でそれぞれの楽器に適したメロディーが自然と紡ぎ出されていきます。音階とは別に、その曲で立ち上げたい「気配」も説明します。先ほどの曲だと「発した音をどんどん空間に溜めていって、最終的に音で空間に穴を開ける」そんな説明をしました。いつもそうですが、演奏者が「こういう事だったのか」と気付くのは本番か終わってからです。それまでは、何か解らないまま何とか食らい付くのが精一杯で、本番はそんな事を考えている余裕はありません。音が自立的に作り出す「大きな波」に乗っては溺れ、乗っては溺れを繰り返しているうちに曲が終わり、コンサートが終わりました。

今回は、映像の記録も残しました。「或る音楽」というタイトルのドキュメンタリー映画になっています。舞台や照明の様子は是非、そちらでご覧になって下さい。

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